良い人も悪い人も居やせんよ。この世界に悪い人が居ない理由を解説します

この世界に悪い人が居る理由

悪い人はどのようなことをすると、悪い人と言われておりますでしょうか。

人のものを盗む?
誰かの悪口を言う?
暴力をふるう?

道徳的ではない行動をする?
法律に反した行動をする?
人を騙す?

もちろんこれらが良いことであるとは言いませんが、これが悪いことだと言うことも間違ってはいませんでしょうか。
私は、人々の誰もが、初めから悪い人であるとはとても思えません。

しかし、メディアでは毎日のように、「犯人がこのような犯罪をしました」、「事件が発生しました」と報道しています。
これはなぜでしょうか。

メディアの儲け話

テレビ番組とは、企業です。
企業である限りは、そこに収益というお金の流れが無ければ運営することができません。

つまりは、メディアは売れなければなりません。
そこで必要になるのが、売れるネタです。

人は基本的に、難しい情報や難しいお話を理解するのが面倒であるという認知がありますので、簡単に認知できることである必要があります。
それが、犯罪です。

犯罪は、加害者と被害者という両者に白黒と分かれ、その犯罪の内容も良くないことだと容易に判断できるものです。
なので、犯罪の報道が多いのです。

事故の報道も多いですが、こちらも同様です。
良くない運転をしたから事故が起きて、被害者を巻き込んだという報道になるのでしょう。

悪い人になる瞬間は必ず他人が居る

悪い人だと自らが思う時は、必ず、他人の存在があります。
例えば、悪いことしたとしましょう。

その悪いことをした内容は本当に悪いことなのでしょうか。
その行いを悪いと教えてくれたのはどなたでしょうか。

その悪い行いを自ら判断して、悪いことか悪くないことかを決定したことはありますでしょうか。
誰かが悪いことだと言って、それを考えずに受け入れているだけではないでしょうか。

犯罪者は悪い人?

犯罪者は本当に悪い人なのでしょうか。
その犯罪をする理由はどのようなことだったのでしょうか。

そのように考えたことはありますでしょうか。
誰もが犯罪をする可能性があり、誰もが犯罪をしない可能性を持っています。

犯罪は、その犯罪をするまでに至った、感情や心があり、そこに犯罪をした理由があります。
例えば、刃物を人に振りかざす人が居るならば、振りかざすまでに至った経緯があるはずです。

経緯は一般的にその現象の少し前を調べて結果を出しますが、もっと生い立ちから調べていけば、その現象になった理由が隠されているはずです。

もちろん、刃物を振りかざした人も罪ではあるが、その人を罪だというのであれば、その犯罪をするまでに至った経緯に関係する多くの人も罪なのではないか。

パパ活は、どうしてしていますか?
お金が欲しいからだけではないのではありませんでしょうか。

そこには、寂しいという大きな感情があるのではないでしょうか。

それも理解せずに、パパ活は良くない。援助交際は良くないと表面的な情報だけで言う人こそが、悪い人ではないかと私は思います。
そのように他人が蔑んで見てくるから、そのよくわからないレッテルから抜け出せないのですから。

私から言わせてみれば、「よくも背景も知らずに言えるな」です。
どんな犯罪をしても、その犯罪者を信じる人も居れば、愛する人も居ます。

これが、犯罪者です。

負の連鎖を切断するために

ストレスを受けて、そのストレスとなった原因を「嫌だ」と言うことが出来るならば、そこで解決することができます。
何か言われて、苛立ちを感じて、言ってきた相手に「むかつく」と言うことができれば、それは解決します。

しかし、それが言えないからこそストレスとなって、ストレスをぶつけられる対象を探しては、その対象にストレスをぶつけて、安らぎを得たとします。
これが負の連鎖です。

これは山頂にある湖と例えられます。
山の湖から川を下っていくように、湖にたまったストレスがだんだん下へ下へと弱いと思われる人にストレスをぶつけて、そのぶつけられた人は更に弱いと思われる人へとストレスをぶつけていき、下流に行くと残されるは自らを傷つけてストレスを逃がすようになります。

言葉であっても、他人は傷ついて亡くなるかもしれません。
行動であっても、他人は傷ついて亡くなるかもしれません。

どちらも、人を苦しめるには容易です。

そのストレスの根源となる山の湖は、自らにあると私は考えています。
ひとりひとりに湖があり、ストレスをどのように捉えるかによって、湖の色を変えるのではないかと思います。

ホストの帝王と呼ばれるローランドさんがある談話の際に言っていた言葉があります。
「余裕をよく海に例えるんだ。コップ、ショットグラスに赤い絵の具を入れたら赤く染まる。でも、海に赤い絵の具を垂らしても赤くはならない」

このように、湖の大きさによって、そのストレスの捉え方が大きく変わるのです。
皆さんの山の湖の大きさはどのくらいですか?

ストレスをぶつけてきた人がどうしてぶつけてきたのかを考えて、理解することが出来るならば、その相手に優しく接することができませんでしょうか。
その相手を愛でることができれば、負の連鎖は終わります。

ストレスをぶつけてきた人のわかってほしい、理解してほしい、寂しいという想いを理解して、愛でることが出来るならば、争いのない世界になるはずです。

良い人とは

それでは、逆に良い人とはどのような方でしょうか。
動物に優しくて、植物に優しくて、荒げた言葉を口に出さず、感情を態度に表さず、人々を観察して、物事を考えて実行できる方が、私は良い人だと思っています。

これは、一人一人違うものです。
皆さんはどのような方が良い人だと思いますでしょうか。

良い人、悪い人を決定するのに、こちらが大きく関係しています。
誰もが、「この人、いい人」と感じることがあるかと思います。

このいい人とは、個人個人で異なり、そのいい人という条件から外れると、普通の人。更に外れると悪い人となります。
皆さんの行いを良い行いとみる人も居れば、良くない行いとみる人も居ます。

人から良い行いと称賛されるならば、称賛した人から見て、良い行いであると感じているだけに過ぎません。

良い行いとは、このように曖昧で、人の気持ちによって変わっていくものです。

人は多面体

人は他人に良く見せようとする習性があります。
一見良い人のように感じても、虫を見つけたら殺虫剤をかけているかもしれません。

逆に、一見良くない人に見えても、道端のたんぽぽを愛でる心を持っているかもしれません。
これは、人それぞれ、他人に良く見せようとする部分が異なり、その良く見せようとした部分がそれを見た人が良いと思えば、よく見えましょうし、悪く思えば、悪く見えましょうし、それぞれなのです。

その全ての人の目に気を付けることが良い行いなのでしょうか。

他人の良くないところを見ないようにして、良いところだけを見るようにすると起きること

これが一番重要なことです。
他人を見るときに、悪いところを見ないようにして、良いところだけを見るようにする方は、そこに執着が起きている可能性があります。

良くないことだと感じた時は、自らが良くないと感じていることでありましょうから、それを押し隠して見ないようにするのは、自らの心を見ないようにしているのと同様になってしまうのです。
人は、良いところもあれば、悪いところもあります。

誰もが等しくそうなのであれば、他人の良くないところを念仏を唱えるかのように覆い隠して、他人の良いところだけを自らの脳に擦り付けて、良くないところを消去するのはやめるべきです。

自らに劣等感はありますか?

誰もが等しいのであれば、誰が良いか、誰が悪いかという優劣は付けられません。

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